膵臓癌こんな症状・こんな治療 闘病日記

自分がいかに無責任な父親であったか

2020.1月の日記

 

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ポートを埋め込んだ痕は特に大きな痛みはなく、
ズキズキはしますが、予想した程ではありませんでした。

先生、ありがとうございました。

 

 

病室に戻って、夜の先生の回診で

Contents

胃 十二指腸ステントを入れます

と言われました。

「ステントっていつかは取るのですか?」

ステント『基本的に取らない』

『いえ。基本的には取れません。ステントの周りに癌細胞がくっつくので触らない方が良いんです。手術の時にもしかしたら取るかも知れませんが、基本的にずっと入れたままです。』

「えっ…⁉」

ん…入れたまま?

ずっと。、

体の中に異物を入れたまま、一生…。

一気に不安が押し寄せて来ます。

『約直径2.2cm・長さ11cmです』

 

長い…大・・・丈夫・・?

数日前から寝る前に“睡眠導入剤”を点滴で入れてもらっていましたので、この日も睡眠導入剤を入れて頂き、頭がボーっとしてきてなんとか就寝…。

私、眠剤を点滴で入れてもらってもきっちり3時間で目覚めてしまうんです。

だからいつも追加でもう一本入れてもらっていました。

その日も深夜3時頃に目覚めて、間もなく行われるステント留置の手術が心配で…そこから寝られませんでした。

 

夜中にトイレに行った時、鏡でふと自分の体を見て。

 

・左の鼻から胃まで長いチューブを入れて、そのチューブから茶色い液体が下のバッグに落ち続けて。

・右の鎖骨の下には100円玉程のポートが埋まっていて。

・左の腕には点滴が2つ繋がっていて。薬がどんどん、入ってきている。

・そして明日には、一生付き合っていく管を十二指腸に入れる。

 

「もう体中、管だらけ、薬だらけ…。 ボロボロ…。こんな姿、下の子に見せたら絶対怖がって近寄ってこないだろう、恐怖で泣くだろうな…。

自分は本当にこれからどうやって生きていくんだろう?」

父親として、39歳にしてこんな体で家族を守っていけるのかな。

いや、実はもう無理。助からないと、先生は知っているんじゃないかな。

もし、死んで燃えたらステントだけは残るのかな?

それを見て妻は、子供達は一体何を思うのだろう?

やっぱり怖がるのかな?

下の子は、まず自分の記憶は無いだろうな…。

あれだけ沢山抱っこして、オモチャでおままごとしたり、沢山お話ししたのに。多分。いや絶対記憶に無いだろうな…。

アンパンマンもしまじろうもプリキュアも、ファントミラージュもパパ頑張って覚えたのに。

そして何より思ったこと。

 

自分がこんな体になるとは全く予想もせず、

妻と結婚して子供を作り、

人様と同じ様に家庭を作った自分は、

ただ、無責任で馬鹿だったんだと。

 

悲観でも投げやりでもなく、素直にそう思えました。

子供が出来た時

「自分達の人生はここからまた始まるんだ!!ワクワクする!!」

って妻に言いました。

これからの人生、ここから何か大きなものが始まる気がして。

付き合いはじめの時の様に、夫婦で手を握ってドキドキして。

幸せでした。

妻も同じ様に思ってくれていたら嬉しいなって、思った。

でも。現実はそうではありませんでした。

自分はホントにただの馬鹿でした。

トイレで一人座り込みトイレットペーパーを口に当て、声を出して泣きながら心の底から家族に謝りました。

万が一残される妻にとっても子供にとっても、自分がどれ程、無責任な父親だったのか。

万が一残されたら家族はどうして生きていくのか。

この日はもう朝まで寝付けませんでした。

いつも寝れない時に見ていた、スマホに入った家族の写真や動画も見れませんでした。

家族に申し訳が無くて。

涙が止まりませんでした。

この時の自分には、もう。

滅亡感しかありませんでした。

 



 

 


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