膵臓癌こんな症状・こんな治療 闘病日記

癌の告知を受けて、わずか2か月で大きく変わってしまった自分の体。

2020.1月の日記

 

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Contents

ステント留置処置

泣いて泣いて、目を張らしたお昼。

13時、いよいよステント留置処置です。

 

もう、闘う気持ちも頑張る気持ちも薄れ、ただただ

「もう、どうにでもして下さい。せめて…苦しまずにして欲しいです。」

状態でした。

いつも、内視鏡を入れる時は家族の写真や動画を見て笑顔になってから行くのですが、
もう見れませんでした。

病室からバスタオルを、一枚持参し処置前室へ。

問診に来て下さった看護師さんに
「すいません。いつも胃カメラの途中で起きてしまいます。その度に苦しいので何とか完全に眠らせて頂けないでしょうか?」

『私、実は◯◯さんが前回、超音波内視鏡を受けた時に処置室にいました。あの時も最初がキツかったんですよね。今回はしっかりと中の先生にも看護師さんにも伝えておきますから、大丈夫ですよ。』

 

あぁ良かった…
「ありがとうございます‼気持ちが楽になりました‼」

 

そして、呼ばれます。

中には6~7人の先生と二人の看護師さんがいました。

なんで…⁉
凄い多くの先生…‼

もしかしてとんでもない大きな手術なのかな。

『まず、もう鼻に入っているチューブを抜いちゃいましょう。』

ズルズル…ズルズル…
思っていたより長い…

喉を抜ける時にまたエづきます。

「ヴぇぅ!涙」

『ノドの麻酔を多目にしましょうね。』

7プッシュくらいしました。いつも通り、もうこのスプレーで私は絶望的です。

胃カメラと違って“うつ伏せ”で行う

顔だけ右を向いた状態での処置でした。
ガタガタ震えているのが自分でも良く分かりました。

しばらく意識がなく…

はい。
目覚めました。

おそらく処置の最後の最後の方だったと思います。
胃の奥に棒が突っ込まれてさらに奥に押してきます。

それは言葉で“激痛”などと例えられるものではありませんでした。

「おぇっ!!ヴぅ…」
入らない力を出して全力で暴れます。
が押さえられます。

『君のためにやってるんだ‼』

はっきりと覚えています。
結構大きな声で怒られました。

すいませんでした…。

本当に今回の処置はまさに、私にとって【地獄の苦しみ】となりました。

~意識朦朧でベッドに寝たまま病室へ運ばれます~

そして病室のベッドへ。
自力で自分のベッドに移動したのも覚えています。

看護師さんが
『誰か手伝って~!!』と言っているのが聞こえたので

「大丈夫です。、自分で移れます。」
と言いました。

心電図を付けたまま。
そのまま意識が飛びました。

起きたのは夕方頃でした。
看護師さんに

「喉がカラカラです。飲み物を飲んでも良いでしょうか?」
『もう、二時間経っているから少しなら良いですよ。』

水を飲みましたが、あんなに喉が乾いていたのに少しも美味しくなくて。

 

身体の中に入ったステントが重い十字架の様に感じました。

「この身体で生きていくんだ。2,2センチ。11センチ。
もう普通の食事も摂れないんだな。」

スマホで
“十二指腸 ステント 一生 おかゆ”
“十二指腸 ステント 食べ物”
“十二指腸 ステント 支障”

など調べまくっていました。

夜の先生の回診で
『明日の朝、レントゲンでステントがしっかり入っているか確認します。』

「ダメだったらどうなるのでしょうか?」

『まず大丈夫かと思います。』

「はい。ありがとうございました。」

ウツロウツロしながら
ステントが入ったお腹を撫でながら

【自分はこの人生で何か悪いことしたかな?
もししていたら、どうかもう。許してください。】

妻に手術が終わったという連絡もせず。
“終わった?”のLINEも返信せず、

ただただ、天井を見つめながら

初めてそんな、人として絶対考えてはいけない事を思っていました。

 

 


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